公益財団法人白鶴美術館

展覧会情報

2017年 秋季展

本館

白鶴美術館の中国陶磁器

-寿福の造形・明時代作品を中心に-
概要

 当館コレクションの柱のひとつとなっている中国陶磁器。その質の高さは世界的知られており、これまでもその優品の数々を公開して参りました。今回は、陶磁器コレクションを時代で二分し、第一弾として、特に、明時代の作 品を中心に、元時代以降清時代までの作品を展示致します中国陶磁器史上、明時代は、五彩の登場に象徴されるように、色絵付の絵画的な装飾により、器面が一気に華やかになった時代です。色数は未だ限定的ながら、実用品としての強度を持ちつつ、器面をキャンバスに様々な画を多彩に描写する自 由を得た時代だったのです。文様は吉祥を示すものが多く、例えば、金襴手の作品に隙間なく描きこまれる 七宝繋ぎ・毘沙門繋ぎ、或いは瓔珞文や牡丹唐草文に獅子図、八卦文や八仙人 図など、かつて宗教的イメージのなかで見受けられたモティーフも、明時代陶磁器の器面上、人びとを寿ぐ文様として華やかに描き出されています。なお、この展示では、上記、明時代の五彩・金襴手、染付の名品から、これまで公開する機会の少なかった清時代陶磁―シンプルかつ洗練された鼎・管耳壺などの青銅器写しや白磁・染付まで―、各時代の美と技をご覧いただこうと思います。
 また、同時代の作品や、観音図・羅漢図など民間信仰のなかで吉祥的イメージ となった図像なども合わせて展示いたします。
 第二弾「白鶴美術館の中国陶磁器 ―宋時代作品を中心に―」は、2019年春季展示の展示テーマ として開催を予定致しております。

主な展示品
金襴手八仙人図壺
明時代
金襴手八仙人図壺
金襴手八仙人図壺
明時代

 脚部には獅子・麒麟・一角獣などの神獣、胴部には、八仙人が描かれている。日本の「七福神」に例えられるが、その要素のひとつが弁財天と同じく、紅一点の仙人「何仙姑」の存在であろう。元来、中国の八仙人は、それぞれ人を寄せ付けない、あるいは世間から遠ざかった伝説の隠棲者である。南宋時代末期~元時代初期の画家顔輝(がんき)の筆による李鉄拐(りてっかい)、日本でも室町時代以降の禅画のひとつとして描かれてきた李鉄拐、呂洞賓(りょどうひん)等も、異様さが漂う。しかし、明時代に『八仙東遊記』が流行すると、「八仙人」はより親しみやすい姿を得て、日本の七福神と同じく吉祥の図像として使用されていくようになる。

染付寿字文花生
明時代
染付寿字文花生
染付寿字文花生
明時代

 明時代末、景徳鎮の民窯製作とされる。ややゆがみのある姿で「古染付」と称し、茶道具として好まれたため、日本からの注文で製作されたものも多い。くすんだ青色で胴部に「寿」の字が記される。「尊形」(中国古代青銅器の尊)を基にした花生で、古風な趣をみせるが、虎の尾風の耳と中央胴部の曲線などが崩れた印象を与えている。同種の例と比較すれば、本作には古染付に多くみられる「虫喰い」と呼ぶ釉の剝げやむらは少ない。

魚籃観音図 狩野雅楽助筆
中室町時代(初公開)
展示期間:10/22(日)~11/11(土)
魚籃観音図 狩野雅楽助筆
魚籃観音図 狩野雅楽助筆
室町時代(初公開)
展示期間:10/22(日)~11/11(土)

 衆生を救うために現れる観音には、三十三の姿があるという。そのひとつが若い女性の姿をした魚籃観音である。仏教説話のなかで生まれ、信仰の対象となったものだが、その話とは美しい魚売りの娘の心を射止めるために経典を学び極めようとするひとを描く世俗的なストーリーだ。その解かりやすいさが、人びとの心を捕らえ、民間信仰への広がりをもたらしたものだろう。
 この画には白衣を纏(まと)い、左手に魚の入った籠を持つ女性が描かれている。裸足ではあるが、髪は美しく結い上げ、唇には薄らと紅をさす。下衣も紅色で華やかさが感じられるが、極めて静かな表状は神々しさを示している。
 筆者、雅楽助は室町時代後期の絵師で、狩野派第二代、狩野元信の弟とされる。

四季山水図屏風(左隻)
伝周文筆 室町時代
展示期間:9/20(水)~10/21(土)
四季山水図屏風(左隻)
四季山水図屏風(左隻)
伝周文筆 室町時代
展示期間:9/20(水)~10/21(土)

 「四季山水図屏風」は、中国、宋・元時代の山水画を手本にしてきたモティーフを大画面に配置し、大和絵にみられるような四季のイメージを加えて再構成したものとされ、室町山水画の和様化を物語る例として挙げられることが多い。この作品は左隻、秋景・冬景を表す。右隻では、緑の葉がみえ、遠景に夏を思わせる柳もみえるが、こちらの水景には枯れた芦が描かれる。遠景の田園には稲が実っているようだ。さらに左下には紅葉、遠景は雪山が描かれている。寒さの為であろう、楼閣の窓は閉ざされ内部を窺うことはできない。
 伝承筆者、周文(生没年不詳)は、京都 相国寺の画僧である。雪舟(1420-1506)の師としても知られる。中国的山水画に学び、その和様化を完成しうる画家として、「四季山水図」の生みの親とされている。なお、手掛けた作品は絵画に留まらず、仏像製作にも関わったようである。
 現在、題を同じくする伝周文筆の屏風は、十数点確認されている。しかし、周文の真筆として考えられるものではなく、その流れをくむ人びとの作との見方が有力である。この作品もまた、周文の画風を受け継いだ小栗派によるものとみなされている。

金箋春秋図屏風(左隻)
田能村竹田筆 江戸時代
展示期間:11/12(日)~12/10(日)
金箋春秋図屏風(左隻)
金箋春秋図屏風(左隻)
田能村竹田筆 江戸時代
展示期間:11/12(日)~12/10(日)

文政6(1823)年、竹田が京への旅路の間に訪れた尾道の豪商亀山夢研(1781~1863)のために描かれたものである。右隻は爽やかな緑に満ちた春景が描かれ、同時代の儒者、頼山陽(1781~1832)の記す題詩・落款印章がある。
これは、左隻で秋景を描いたもの。
方形に積み重なる赤茶けた岩の合間に、色づいた木々が描かれている。霜が降り、風に草木の葉が揺れ落ちる。春景に比して、屋外には人の気が少ない。牛を引き連れて移動する牧童や庵前の耕作人がひとり。左上、肩に竿をかけ水辺にいる釣人は下を向いて探しものをする風である。ごつごつとした岩肌を流れる水に寒々しさすら感じる。
左上に竹田が記す詩文には、出仕せずに数畝の田を耕し生計を立て、琴と書物を所蔵し、詩を詠み口ずさんで孤独を忘れる、など記される。すなわち、この画には、竹田が理想とする文人的理想郷が映し出されている。

金襴手瓢形大瓶
明時代
金襴手瓢形大瓶
金襴手瓢形大瓶
明時代

高さ62㎝以上にも及ぶ堂々たる瓶。八角形の瓢形(瓢箪形)を呈しており、白磁の上に色絵付けをし、更に部分的に金を焼き付ける。明代・嘉靖年間(1522~1566)に盛んに作られた所謂「金襴手」作品である。本作のような作品は、型に当てて作ったパーツを組み合わせて成形されるが、本作では上部と下部の膨んだ箇所に継いだ痕跡が認められる。赤、緑、黄色による絵付けで、牡丹唐草、毘沙門亀甲繋文、四方襷文、七宝繋文などが丁寧に表される。そして、金によって牡丹、八卦、「寿」字などの吉祥文字が入れられる。
中国では、瓢箪の中には別世界があり、そこから出る霊気は不老長寿を保つとされるが、本作はこの瓢形を呈すると同時に、吉凶を占う八卦や八仙人に通じる八つの面を持ち、文様と併せて、器全体で吉祥を体現している。

五彩魚藻文壺
中国 明時代 景徳鎮窯
五彩魚藻文壺
五彩魚藻文壺
中国 明時代 景徳鎮窯

 丸味を帯びた壺の胴部に描かれた、水草が生え赤と黄色の蓮が咲く池の中を、菱などの浮葉と共に伸びやかに泳ぐ鯉8尾(大4、小4)。絵付けの担当者は、壺の周りを廻ると、私たちの視野に絶えず鯉3尾は入るように配置を工夫し、更に鯉全ての黒目が進行方向に寄っていて、より一層前への動きが生まれるように意図したのではと考えられる。
 中国では古来魚は縁起が良いとされ、蓮と魚が登場した時には、蓮と連、魚と余の音通により「連年有余」(毎年連続して豊かであること)を願う吉祥文様となる。鯉は特に目出度く、「登龍門」と言う言葉が人口に膾炙し、最も優れた1尾だけが黄河の急な流れの龍門を登り切って龍になると言う伝説に基づいて、滝を登る鯉は科挙及第の喩えとされた。
 魚藻文は元時代の、白い素地の上に直接コバルト顔料を用いて絵付けした、中国で青花、日本では染付と呼ぶ陶磁器に見られたが、明時代前半期には影を潜め、嘉靖期(1522~66年)になり五彩<本焼きされた白磁に黄、赤、緑などの上絵具で文様を表し低火度焼成する技法の多色彩磁は、嘉靖~万暦(1573~1619年)の間に大量生産された>として再び登場。この蓮池の場合、まずコバルト顔料を使って素地に部分絵付けし、透明釉をかけて高火度焼成した後、上絵具で着彩。鯉のオレンジ色を出すためには、黄色を焼き付けた上、更に赤を塗り重ね、再度、錦窯で焼成しなければならず、嘉靖の五彩中、この種の魚藻文壺だけに用いられた技法とされる。底裏に「大明嘉靖年製」の青花銘。

五彩龍文尊形瓶(一対の内)
明時代
五彩龍文尊形瓶(一対の内)
五彩龍文尊形瓶(一対の内)
明時代

 青銅器の有肩尊を祖形とする大型の方瓶で、型に填めて成形し、胴部の四方中央の大きな獅子頭の頭頂部近くで胴継ぎしている。その白い素地の上に直接コバルト顔料で、例えば、龍の背鰭のみを描き、透明釉を掛けて高火度焼成した後、上絵具で顔、胴体そして四肢を付け加えて龍文を完成し、更に花唐草文などを絵付けして焼き上げている。
 この方瓶は一対からなり、特に獅子頭脇の龍が阿形と吽形に描き分けられ、南大門の阿吽の仁王像などと同様、祭壇に据える際の左右を意識して龍文<四霊(四瑞)の一つ、他は鱗・鳳・亀>を描いたと思われる。なお、何れも五爪の龍。写真は吽形の龍がいる方瓶である(別の方瓶は20匹の龍全てが阿形)。龍文様を詳しく見ると、頸部と台脚部は阿形の上昇・下降龍が計8匹交互に表され、肩部の4匹の龍は身体がいずれも左向き(但し、頭部が前向きの阿形龍、後ろを振り返る吽形龍が半々)で、時計回りに廻っている。更に獅子頭の左右に立ち上がった吽形龍が計8匹描かれ、その内の1匹のみ、主だった部分を釉下彩のコバルト顔料で描いている。これらの龍の中には、睫毛が描かれたものもあって、当館所蔵の「五彩武人図有蓋壺」にも睫毛のある龍が登場し、とても興味深い。
 どこに据えられていたかは不明だが、もしも仏具の類であるならば、香炉、燭台と共に仏前の前机に配置される五具足の花瓶に当るかもしれない。口部側面に右横書きで「製年暦萬明大」の青花(染付)銘があり、景徳鎮の官窯制作であることが分る。

資料