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| 主な展示品 |
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象頭 (ぞうとうじこう) |
| 中国 商(殷)唐時代 |
| 通高 17.2cm 長 20.1cm |
| 重要文化財 |
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として分類される青銅器は、禽獣の頭と背が蓋、喉が注ぎ口<流(りゅう)>となり、尾には小動物をかたどった把手< (はん)>をつけ、圏台あるいは四脚をもつ盛酒器です。
商(殷)末から西周中期に盛んで、器面全体が空想と実在の動物で飾られるのが特徴です。
この は、蓋が象と饕餮文(とうてつもん)の組み合わせ、環状の は鳥の側面形を基本として、その鳥の後頭部を把手の上の付け根から頸を伸ばした怪獣が齧り付き、鳥の下半に下から角のある獣が喰(く)いつく複雑な意匠です。器表は、饕餮(とうてつ)、 龍(きりゅう)、 龍(きりゅう)、虎、兎など繁褥(はんじょく)な獣文と地の雷文(らいもん)で埋められていますが、鋳上(いあが)りはとても鮮明です。
末期の例には、蓋でなく器に獣頭のつく 、水器である (い)にも流に獣頭のつくものがあり、また蓋を除いた の器形は に類似し、両者が器形の変遷上深い関係にあることが窺われます。
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| 鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗 (ときんりゅうちえんおうそうぎょもんぎんせん) |
| 中国 唐時代 |
| 高 5.2cm 口径 14.5cm |
| 重要文化財 |
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口縁の力強い反(そ)りに応ずるかのように圏台が裾広がりに造られた碗形の器です。胴部に十四の花弁形と宝珠形の曲面が見事に打ち出され、対葉華文(たいようかもん)で縁取られた花弁内に華麗な宝相華唐草文、宝珠内形に一茎の草花が線刻されています。更にその上下部に禽獣<鴛鴦、鴨、鷺、戴勝(ヤツガシラ)、雉、雌雄の鹿、兎など19羽14頭>・蝶・蜻蛉(トンボ)・草花・岩・石・花雲文が、圏台・底裏には宝相華文が、蹴(け)り彫(ぼ)りと呼ぶ長方形に近い揺ぎない鏨跡(たがねあと)の連続線で精緻に表されています。例えば、飛翔する鷺は嘴の先から脚の末端までわずか1cmほどですが、頸を曲げて飛ぶ姿を的確に捉えています。
また、地の部分は横方向にびっしりと打たれた魚子文(ななこもん)で埋め尽くされています。
更に、内底には龍頭を中心に鴛鴦・鯰(なまず)・鱗(うろこ)のはっきりした双魚が泳ぐ霊池の様を半肉彫り風に鎚起(ついき)した鍍金銀板を接合しています。
西安市何家村から出土した金碗・銀碗、アメリカ・ネルソン美術館の同形器とともに初唐末の作として唐代金銀器を代表する一器です。 |
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| 青磁鳳凰耳花生 (せいじほうおうみみはないけ) |
| 中国 南宋時代 龍泉窯 |
| 高 29.0cm 口径 9.6cm 胴径 11.8cm |
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わずかに裾のすぼまった筒形の胴からなめらかに肩が形作られ、その上に円筒形の頸が真直ぐに立ち上がっています。更にその頸は上部で斜めに大きく広がり、少し内にすぼまり口を形作っています。頸部に胸から上の鳳凰を象(かたど)った二枚合わせの型作りの耳を付けています。
このとても繊細で、気品のある姿を見つめるたび、器形各部の絶妙の調和と清澄な釉色に感嘆の声を上げたくなります。和泉市久保惣記念美術館所蔵の『萬声(ばんせい)』と呼ばれる国宝に遜色(そんしょく)のない優品です。
粉青色(ふんせいしょく)(玉のようにしっとりした灰青色の釉調)の青磁釉が厚くかかり、表面はなめらかに見えますが、胎の微妙な起伏が釉層(中の気泡は細かく密)の厚薄となって色の諧調として現れます。青磁の色を追い求め、工夫を重ねた末の結論の一つがこの器胎の起伏だったのでしょうか。茶道で珍重されて来た砧(きぬた)青磁の色です。なお、釉を剥(は)いだ畳付きの部分は赤っぽい色に焦げています。
ところで、『槐記(かいき)』≪近衛家熙(このえいえひろ)<1667〜1736年>の侍医、山科道安(やましなどうあん)が家熙より伺った貴重な話を日記風に記録したもの≫享保12年(1727)3月29日の一節は先人の教養を見事に伝えており、龍泉窯の優れた青磁を日本で砧青磁と呼ぶようになったきっかけは次のようだと考えられています。すなわち、「(前略)キヌタ青磁ノ至極ナリ、(中略)後西院ノ勅命ニテ千聲ト号ス、擣月千聲萬聲ト申ス御心ニヤト申上グ、左アルベシトノ仰ナリ、(中略)此ワレノアル故ニ、利休ガキヌタト名付ルトナン、響アルト云ウ心ナリト仰ナリ」これは陽明文庫所蔵の貫入(かんにゅう)のある鳳凰耳花生と、静嘉堂文庫美術館所蔵の貫入があり胴部が大きく割れて鎹(かすがい)が打たれている鯱耳(しゃちみみ)花生をめぐっての話です。白居易(楽天)の名も詩の題も出て参りませんが、家熙も後西院(在位1654〜62年)命名の出典を白楽天の『聞夜砧』の詩句「誰家思婦秋擣帛 月苦風凄砧杵悲 八月九月正長夜 千聲萬聲無了時(後略)」だと考え、当然、利休命名の背後にもその詩句の存在を見ていたのでしょう。何しろ、家熙は古典や文学に深く精通し、「事物」と「名」の関係を明らかにしようとする<名物学>に興味を抱いた人物で、砧という「名」と「事物」としての実体をよく弁えていました。もしかすれば、利休、後西院、家熙などは、青磁の花生を見つめた時、秋月の下、遠く離れた父や夫を想う女性たちが砧上の衣を杵で擣(う)つ音が耳に響き渡ったのではないでしょうか。 |
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