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| 内容解説 |
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松尾芭蕉の「秋深き 隣は何を する人ぞ」という俳句に象徴されますように、距離的・地理的に近いことが、必ずしも親密さのバロメーターと成り得ないことは、経験上、周知の事実です。それにも拘わらず、「一衣帯水(いちいたいすい)」という四字熟語に込められた願望の如く、韓国(朝鮮)、中国は私たちにとって極めて身近な隣国です。しかし、それらの国のこと(地理、歴史、社会、文化、人々など)をどこまで知っていますか、と改めて問い懸ければ「否」と答える人が多いと思われます。ところが、日本の歴史、文化を振り返る時、特に中国がその視野の中に浮かび、例えば『漢書』、『三国志』、『隋書』、『唐書』等を繙(ひもと)けば、隣国の目を通して、私たちの先人が交(まじ)わりを切に願った念(おも)いの一端が蘇って来るのです。勿論、商(殷)周時代まで遡ると、史料の中に両者の交渉の痕跡を見つけることは至難の業(わざ)かもしれません。でも、中国から取り入れた文字である漢字<漢時代に因(ちな)んで命名されました>を辿(たど)ることによって、漢字誕生の商(殷)時代に到達し得るのです。これは奇跡です。その古代中国の人々は、太陽が宿り、そこから昇る神木<扶木(ふぼく)>の生える東海の彼方の地を意識し、やがて扶桑(ふそう)の国と名付けました。隋の煬帝(ようだい)を激怒させた倭国王<『隋書』には (たい)国とあります>の国書に記された「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」という文言(もんごん)に秘められた淵源は、実に深く遠いのです。
その悠久の歳月を誇る中国美術の歴史を改めて見つめ直す時、どうしてある時代に、特定分野の美術作品が他の時代に比してそれ程までに花開いたのか、という本質的疑問が生じます。皆様と共に、中国美術を対象にして、美術と時代、美術と人間との密接な (つな)がりを考察して参りたいと存じます。
美術館はまさに作品を通して、それらを生み出した国、時代、人々に想いを馳(は)せ得(う)る場所の一つです。今秋は、中国工芸の傑作<主に商(殷)周青銅器、戦国〜漢時代の金工品、隋唐時代の鏡・銀器・陶磁器、宋元時代の陶磁器など>を通して、中国美術の真髄に触れて戴けますならば幸いです。 |
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