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| 内容解説 |
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唐招提寺を創建した鑑真和上(がんじんわじょう)が感銘を受けた語句に「山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁(山川は域を異にすれども、風月は天を同じくす。諸(これ)を仏子に寄せ、共に来縁を結ばん)」があり、『唐大和上東征伝』(淡海三船撰)中、天武天皇の孫に当る長屋王が中国の僧侶に喜捨した袈裟千領に刺繍されていた言葉だと伝えられています。このエピソードからも、不世出の傑僧は中国と日本の縁(えにし)の深さを確信し、かつ日本人が歴史上で時折見せる美質にも気づいていたと思われます。それは他国の優れた文物を、熱意を以って吸収し、かつ咀嚼(そしゃく)する能力です。まず、外(と)つ国(くに)の文物に感動をもって接することが大切です。『日本書記』の欽明天皇十三年(552)冬十月の条にそれを髣髴とさせる出来事が記されています<「…西蕃献仏相貌端厳。全未曾看。…」(端厳はキラキラシと読まれています。百済の聖明王から齎(もたら)された仏像に感動した様子が伝わって来ます)>。そしてそれらを受け入れ、時には自家薬籠中のものとしたのです。その力が一番発揮されたのは漢字の受用に際してだろうと思われます。漢字に音訓があるのは、まさに先人達の漢字との壮絶なる格闘の証(あかし)です。やがて、カタカナ・ひらがなが発明され、今日、私たちが使用しています漢字かな混じり文へと展開して参りました。
さて、日本に伝存する中国陶磁の傑作に眼を転じますと、とりわけ砧(きぬた)青磁・天目茶碗・金襴手(きんらんで)は、歴代日本人が真価を世に知らしめたと言っても過言ではありません。また、20世紀に入り出土した唐三彩を最初に評価したのはヨーロッパの人々ですが、その美的特質を的確に捉えたのは正倉院宝物を守り伝えて来た日本人でした。講演会で唐三彩の意義が分り易く説き明かされます。
春季展では私たちの先人が魅了された中国美術の素晴らしさ、そしてそれを如何に受け留め生かしたか、更に自分たちに寄り添った美術へと変容させたかを見つめて参ります。
更に、裂帖(きれちょう)の展示・公開研究会を通じて、中国・日本の染織文化の一頂点、法隆寺や正倉院に伝わった上代裂の精髄を皆様と共に味わいたいと存じます。 |
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